慶誠寺の歴史
大正
1918年(大正7年)
10月石田慶封副住職。 米領布哇ホノルル開教より帰旭。
慶誠寺 第二世住職
浄土真宗本願寺派開教使として
米領布哇ホノルル別院に赴任
1919年(大正8年)
石田慶封
第二世住職を継職
9月10日、開基住職 石田慶雲法師遷化
行年68歳。(開道院釋慶雲法師)
11月10日、石田慶封第二世住職を継職
1920年(大正9年)
9月鐘楼堂並びに梵鐘の改築完成。
菊枝山慶誠寺住職と僧侶たち
二世住職は
ホトトギス派の俳人として活躍
高浜虚子に師事
河東碧梧桐とも親交があった
二世住職は
日章小学校保護者会長時代には
プロ野球で名をはしたスタルヒンに野球道具一切を買い与えて
その才能を伸ばす基礎を作り
スタルヒン一家の面倒をみていた
石田雨国子の句碑
『秋晴や雪をいただく十勝岳』
夢を追い求め、諦めなければ失敗はない