慶誠寺の歴史
明治/開拓期
1893年(明治26年)
石田慶雲法師
開教に従事
(富山市妙萬寺第21世住職)42歳
開基住職石田慶雲法師が富山県婦負郡呉羽村高木
(現:富山市高木)妙萬寺住職を法嗣、慶融に継ぎ本山真宗教会本部の命により北海道旭川村での開教。
21世の袈裟は上り藤紋(石田の家紋)
妙萬寺
本願寺5代綽如上人
三男の第四子が開基の寺
妙萬寺も慶誠寺も本願寺血脈寺院
1896年(明治29年)
1月22日、上川郡旭川村字寺町6丁目右
(現:旭川市5条6丁目)
に於いて寺院敷地5反4畝、並びに上川郡旭川村川添町6丁目左(現:旭川市4条6丁目)に於いて寺院敷地5反4畝の無償附与を北海道庁に出願
1897年(明治30年)
7月26日出願中の寺院敷地の無償附与許可
11月11日説教所設置の認可を受ける
1898年(明治31年)
11月11日、27坪の説教所開設
1899年(明治32年)
10月11日木物安置及び慶誠寺 寺号公称、本山より認可
1900年(明治33年)
8月8日、寺号公称の件について、北海道庁から許可が下り、本堂庫裏共84坪、2号5勺を建築しました
また、12月21日から23日にかけて、本山より御開山聖人御影、前住上人御影(妙如上人)、聖徳太子御影、七高僧御影が御授与され、3日間遷仏法要を修行しました
1901年(明治34年)
石田慶雲法師
慶誠寺開基住職に
5月18日石田慶雲法師、慶誠寺開基住職に任ぜられる
5月27日境内地及び境外附属地共に寺院名に登記完了
1906年(明治39年)
8月14日旭川仏教婦人会設立。九条武子氏が慶誠寺に。
1910年(明治43年)
3月6日本堂改築の件許可
10月10日本堂改築工事竣工
夢を追い求め、諦めなければ失敗はない